69. ジャガイモ 馬鈴薯 Potato

 

   南米アンデス山脈のコロンビアからチリにかけての標高3000~4000mの高地が原産で、ナス科に属する。紀元前5000年ころには栽培が始まっており、古代インカ帝国の重要な作物であった。このジャガイモをスペインの征服者、フランシスコ・ピサロがペルー征服(1532年)のみやげとして、その花を観賞するために16世紀の始め(1532~1537年)に母国ヘ持ち帰ったと言われるが、記録からは1570年前後で、それからヨーロッパそして世界中に広まった。

 

   わが国へ渡来したのは、長崎へ1598年にオランダ船がジャワのジャカルタから持ってきたところから、ジャガタライモ、または、ジャガイモと呼ばれるようになった。別名ばれいしょと呼ばれるのは、江戸時代の学者,小野蘭山(おのらんざん)(1729~1810)が中国語から引用したとか、馬の首につける鈴から連想して名付けたといわれる。別名を、五升芋,八升芋というのは一升の種芋から、五升,八升の収穫があることからきたもの、また、善太夫薯(ぜんだゆういも),清太夫薯(せいだゆういも)というのは、導入した代官の名をつけたものである。

 

   わが国での普及は、サツマイモに比べて遅れたが、明治に入ってアメリカ,ドイツ,イギリスから優良種を改めて導入し、気候,風土が適した北海道でまず生産されるようになり、その後、明治18年の凶作のときに東京・三田育種場が「栽培馬鈴薯の記」を全国に配布、これをきっかけに全国的に生産が伸びた。

 

   冷涼な気候を好み、生育の適温は15~23℃だが、じゃがいもの肥大には日中17℃,夜間10℃くらいの昼夜の温度差の大きい方が適し、連作を嫌い、2年くらいはナス,トマトなどを作った場所は避ける。掘りとられたいもは、そのまま60~130日間の自然休眠を経て越冬中に芽がさめ、体内のでん粉を糖分に変えて発芽に備え、温度が4~6℃になると芽が動き出す。このため、春の季節はじゃがいもの糖分が若干増加し、淡い甘味がでて食べるには一番おいしい時期となる。しかし、ポテトチップにするときはこの糖分が褐変し、製品の色が悪くなるので、リ・コンディショニングといって加工前の2週間を16~20℃に置きブドウ糖の減少を図る。

 

   品種はダンシャクとメークインが中心であるが、今後は料理に応じた使い分けをしていくべきで、たとえばベイクドポテトなら粉質のキタアカリやダンシャク,煮込み料理ならなめらかで煮くずれしないメークイン,すりおろして焼くパンケーキやお好み焼きならコナフブキ,フライドポテトはホッカイコガネ,揚げ物はトヨシロといったように。皮の赤い品種も増えてレッドアンデス,ベニアカリはキタアカリに似てホクホクなのでコロッケ用に、レッドムーンはメークインに似て煮くずれしづらい。ほかにもインカのめざめは小粒だが中が黄色といった特徴がある。

 

   栄養的にはビタミンCが100g中に20㎎程度含まれ、調理の際の加熱によっても失われることなく、Cの供給源としてたいへん優れている。これは、でん粉に包まれている為にビタミンCが溶け出さないのである。ほかに、体内の余分なナトリウム(食塩)を排出して高血圧の予防に役立つカリウムやB1,良質の蛋白質を有する。2022年の栽培面積は71,400ha,収穫量は2,283,000t、収穫量構成比は、①北海道79.7%,②鹿児島4.3%,③長崎3.7%、そして茨城,千葉,福島,長野,静岡,熊本…と続く。主力産地の北海道では天候・温暖化の影響…春先の降雨・夏の高温多湿・収穫期の台風などにより生産が不安定となっている。

 

選び方と保存  ふっくらと丸みがあって傷のない、肌の滑らかなもの。新じゃがはみずみずしいもの。保存はポリ袋に入れて冷暗所へ、大量のときはビニール袋の中にりんご1~2個を一緒に入れておくとリンゴから発生するエチレンガスにより発芽が抑制される。

旬   9~12月,新じゃがは4~6月。

 

消費地別の入荷動向

 

   市場の入荷=消費ではないが、ある程度は当たっていると思います。北海道は一番の産地でもあることから、栽培面積に近い入荷となっている。スーパーなどの売り場を見ても男爵,メークイン,キタアカリは定番となっており、そのほかにも季節に合わせて多くの地物の品種が並ぶ。関東は一番の消費地であるために男爵,メークインを中心に多くの産地の品種が並ぶ。関西以西はメークインが主力で、ほかに男爵と12~5月の主力産地の長崎,鹿児島が近いこともあって、ニシユタカ,デジマなどの品種がよく食べられている。

だんしゃく 男爵

 

   原名はアイリッシュ・コブラー Irish cobbler。明治41年に北海道の函館ドック会社社長の川田龍吉男爵が、英国のサットン父子商会を通じてアメリカから輸入、七飯村の農場で栽培したもので、以来「男爵」と呼ばれる。これはアメリカに移住したアイルランド系の靴直し屋(cobbler)の畑に育ったところから、名前がついた。来歴についてはアーリーローズの変種といわれていたが、近年のDNA分析からすると雑種と考えられる。極早生種(ごくわせしゅ)で草丈は低く、イモは球形で黄白色。肌は滑らかだが芽の部分が大きくくぼんで、皮が剥きにくく中心空洞が生じやすい、また近年の育成品種に比べると病害虫抵抗性も劣るが、各地の風土によく適して貯蔵性もよい。でん粉含量は中程度。肉質はやや粉質で、煮くずれしやすいが、ふかしたりコロッケ,ポテトサラダに向く。

 

キタアカリ

 

   農林水産省北海道農業試験場が、ダンシャクに旧東ドイツから導入したツニカをかけ合わせたもので、1987年に登録された。ジャガイモシストセンチュウ(根に寄生し土中で10数年間生存して、ジャガイモを枯死させる)に抵抗性があり、早生で8月に収穫したものはビタミンCが50㎎をこえ普通のじゃがいもの倍以上ある。黄肉でくぼんだ目がピンク色,味や香りがよく粉質で、煮くずれしやすいことからポテトサラダ,コロッケに向く。中くらいのいも2個を洗って新聞紙に包んで、電子レンジで約8分かけるとベークドポテトの出来上がり、バターをつけて召し上がれ。電子レンジでの加熱はビタミンの損失が少ないので利用したいものである。


                   ピンク色の目が特長

 

メークイン May queen

 

 イギリスのベンサムで E.Sadlerという人が栽培していた、名前の由来は春の村祭りに村の娘の中から選ばれる女王にちなんだもの。大正6年(1917)に米国より輸入され、北海道にはその年か翌年に移植され、10年後に優良品種に指定された。他品種と違い、形が細長く中身が黄色,目が浅いので皮がむきやすくでん粉含量が少なく蛋白質が多いことから、粘質で煮くずれせずシチュー,カレーライス,おでん,肉じゃがなどの煮物向き。関西で特に人気がある。収穫直後よりも低温で貯蔵しておくと甘味と粘質度が増す。


                               細長い形が特長

 

ニシユタカ

 

 長崎県総合農林センター愛野馬鈴薯センターで昭和45年、外観・食味が良好で暖地の主要品種である「デジマ」に、大粒で春秋とも多収性の「長系65号」を交配して育成。昭和53年に、西南暖地に適し豊産性であることから「ニシユタカ」と命名され、長崎県で奨励品種となる。春秋二期作が可能で、特に春作のマルチ栽培ではいもの肥大が早く極めて多収となることから、暖地で最も多く栽培されている。「新ジャガ」として出回っている大部分はこれで、肉色は淡黄色,目は浅く、粒ぞろいも外観もよい。煮くずれしないので、長時間加熱するカレーやシチューなどの煮込み料理やおでんの具などに適している。変わったところではゆでた後に細切りにしてサラダに添えたり、きんぴらも食感が生きる。

 

デジマ

 

 北海道農業試験場で昭和37年、大粒・多収の良食味「北海31号」に大粒・多収性の「ウンゼン」を交配して、長崎県総合農林センター愛野馬鈴薯センターで選抜を重ねた。昭和46年に江戸時代に外国への窓口であった長崎の出島にちなんで「デジマ」と命名、目は浅く皮は淡黄色で滑らかなため外観が極めてよい。多収で食味は優れ、肉じゃがや煮物,みそ汁の実,揚げジャガに適する。

 

インカのめざめ

 

 農林水産省北海道農業試験場が昭和63年(1988)に、南米アンデスの2倍体品種Solanum phureja と米国品種Katahdin の半数体を交配した W822229-5 を母、濃黄肉の P10173-5 を父として交配して、2001年に品種登録した。原産地のアンデス地域で独特の食味と風味を有することから高値で取り引きされている小粒種を、日本のような長日条件でも栽培できるように改良した品種で、起源地と新しさから「インカのめざめ」と命名された。

 

 いもは1個平均55gと小さく卵形で、皮色は黄褐色,肉色は橙色に近い濃黄色、表皮は滑らか。熟期は極早生で、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しく収量も少ない。休眠期間が30日未満と短いので収穫後は低温貯蔵する必要がある。食味は、ナッツや栗に似た独特の風味があり、煮くずれが少ないので煮物に適し、油加工時の褐変も少ないのでポテトチップやフライドポテトにも向く。活性酸素の消去能を有するカロテノイド系色素ゼアキサンチンを、キタアカリの約7倍含有している。2019年の作付面積は北海道を中心における280ha。このほかに、アンデスを起源地とする品種として、インカのひとみ,インカパープル,インカレッドがある。


                洗って、新聞紙に包んで、小玉なら3個を電子レンジで約8分で簡単調理

 

デジマ

 

  北海道農業試験場で昭和37年、大粒・多収の良食味「北海31号」に大粒・多収性の「ウンゼン」を交配して、長崎県総合農林センター愛野馬鈴薯センターで選抜を重ねた。昭和46年に江戸時代に外国への窓口であった長崎の出島にちなんで「デジマ」と命名、目は浅く皮は淡黄色で滑らかなため外観が極めてよい。多収で食味は優れ、肉じゃがや煮物,みそ汁の実,揚げジャガに適する。

 

新しい品種

 

 近年、じゃが芋の新品種が増えています。既存の産地との競争、消費者にどう食べ方を訴求して認知してもらうかといった難しい問題もありますが、次の4品種は北海道の店舗でも目に触れる機会が多くなりました。

 

①とうや…農林水産省北海道農業試験場が昭和56年(1981)に早生(わせ)大粒品種の育成を目標に、「R392-50」に「WB 77025-2」を交配して育成、1992年に登録、名前は主産地となる道南地方の洞爺湖にちなんで「とうや」と命名された。いもは球形で目が浅く、果皮は褐色を帯びた黄色で表面がやや粗い。果肉は黄色でやや粘質、舌ざわりはきわめて滑らかで粒揃いがよい。煮物やスライスサラダ,ポテトサラダに向き、特に粘質のいもが好まれる関西・九州で評価が高い。2019年の北海道における作付面積は1,944ha。

 

②さやか…農林水産省北海道農業試験場が昭和58年(1983)に、ジャガイモシストセンチュウ抵抗品種の育成を目標に「Pentland Dell」イギリスで育成された大粒多収×「R392-50」ジャガイモシストセンチュウ抵抗性品種を育成、1995年に「さやか」と命名された。表面が滑らかで芽が浅いため皮がむきやすく煮崩れしにくい性質で、主にサラダなどの業務加工用として利用されるがカレーやポトフなどの煮込み料理にも向く。ほかにも、さやかはじゃがいもが光に当たった時に発生する有害物質であるグリコアルカロイドの生成量が少なく、緑化しにくいため長期保存も可能。2019年の北海道における作付面積は1,672ha。

 

③きたかむい…ホクレン農業総合研究所が1997年にジャガイモシストセンチュウ抵抗性を持つ早生(わせ)品種の育成を目標に、「イエローシャーク」に「とうや」を交配して育成、2007年に北海道の優良品種に認定された。いもは球形で目が浅く、果皮は白黄色で果肉は白色でやや粘質、煮くずれは少ない。ポテトサラダに向く。2019年の北海道における作付面積は654ha。

 

➃マチルダ(MATILDA)…スウェーデンのスバロフ社が「68/2144」に「Sv67108」を交配して育成、1985年にホクレン農業協同組合連合会が輸入したもので、名前は豊作の女神「Matilda」を意味している。いもは卵球ないし卵形で目が浅く、果皮は黄色で果肉は黄白色,煮くずれは少ない。品質の劣る小粒くずいもを使うことの多かったホール(皮むき)ポテト,サラダなどに完熟小粒の供給を目指している。2019年、北海道の芽室町を中心に作付面積は127ha。

 

トヨシロ

 

 農林水産省北海道農業試験場で昭和35年(1960)に、北海19号(Prof.Wohltmann×Pepo)にエニワを交配した品種。昭和51年に豊産で油加工製品の色のよいことから「トヨシロ」と命名された。大粒で目が浅いので皮をむいたときにロスが少ない、さらに還元糖の含有量が少ないため油で揚げても褐色になりにくいことから、ポテトチップスの主力品種となっている。偏球形で表皮は淡い黄色、中は白色をしている。

 

ベニアカリ

 

 農林水産省北海道農業試験場で昭和59年(1984)に、高でん粉価系統・北海61号に早生・大粒でジャガイモシストセンチュウ抵抗性のR392-50を交配して選抜された。 1994年にばれいしょ農林33号として登録、「ベニアカリ」と命名された。いもは赤皮白肉で外観や内部品質がよく、高でん粉価で変色が少なく、蒸しいも,マッシュ,コロッケに適しており、つぶして作るいももちやハッシュドポテト,パンケーキ,お好み焼きなどが容易に作れる。煮くずれが多く、煮物には適さない。

 

レッドアンデス

 

 川上幸治郎名城大学名誉教授らが昭和46~49年(1971~1974)にかけて、Early Roseにアンデス原産の2倍体栽培種 S.phureja 253を交配して育成、別名ネオデリシャス,アンデス赤。キリンビールの「ジャガキッズ」シリーズの元になった品種といわれる。品種登録される前に広まってしまったことから種苗登録はされていないが、岡山県は1993年に原原種の配付を決定、北海道でも十勝農協連が地域在来品種として原原種の増殖を2000年に承諾された。肉質は粉質で煮くずれの程度はやや多く舌ざわりは滑らかで、ポテトサラダ,コロッケなどに向く。中くらいのいも2個を洗って新聞紙に包んで、電子レンジで約8分かけるとベークドポテトの出来上がり。

 

ラセット・バーバンク Russet burbank

 

 アメリカで一番栽培されている品種で、じゃがいも産地のアイダホ州ではIdaho

Russetと呼ばれるほどの人気がある。1910年前後にバーバンク (育種家として著名なルーサー・バーバンクが作出した事から彼の名が付いたじゃがいもの品種)の芽条変異で生まれたもので、形は大きくて細長い。表皮が厚くザラザラした触感なことから、ラセットという表面がザラザラした織物の名前をとって命名された。他のジャガイモに比べて水分量が少なく、揚げ物に適していることからマクドナルドのマックフライポテトは、これを使っている。国産のじゃが芋はLサイズで1個150~250gですが、ラセットは1個360~380gと非常に大きい。国産ではここまで大きいと、空洞果が発生しやすいが、アイダホ州は栽培条件があっていると思われる。

 

カラフルポテト

 

 農林水産省北海道農業試験場が1982年、ばれいしょの遺伝資源を調査中に南米アンデス地方の野生種に近い品種に、アントシアニン色素を含む赤紫色のものが見つかった。これをきっかけに、「カラフルポテト」の開発がスタートし、2000年以降新しい品種が育成されるごとに、色が濃くなり収量も増えて期待をされている。

 

①シャドークイーン…農林水産省北海道農業試験場で1993年に、アントシアニン色素を含む紫肉の「キタムラサキ」の自然受粉種子を選抜して育成、2006年に登録された。いもはだ円形で目は浅く、果皮も果肉も鮮やかな紫色、食味もよく調理後も鮮やかな色が落ちないので食品加工向きです。ブルーベリーで有名な抗酸化作用があり目にやさしいアントシアニンを、今までの紫じゃがいもの3倍も多く含んでいる。

 

②インカのひとみ…農林水産省北海道農業試験場で1995年、「インカのめざめ」の自然受粉種子を選抜して育成、2006年に登録された。名前は表皮が赤色で目の周りだけ、黄色に着色してめがねか瞳(ひとみ)のように見えることによる。いもは倒卵形で目は浅く果肉は橙、ナッツや栗に似た独特の風味があり、煮くずれが少ないので煮物に適する。休眠期間が短く芽が出やすいため、収穫後は低温貯蔵する必要がある。

 

③ノーザンルビー…農林水産省北海道農業試験場で、「キタムラサキ」の種子から選抜して育成され2006年に登録された。いもは長だ円で目は浅く、果皮,果肉とも赤色をしてアントシアニンを含む。調理後も色むらの少ない特徴がある。

 

④スタールビー…農林水産省北海道農業試験場で1991年、「北海77号」に「87028-6」を交配して育成、2003年に登録された。いもは偏球で目はやや浅く、果皮は赤色で果肉は黄色、煮くずれは男爵と同じくらいでやや粉質です。食味が優れ貯蔵性もよく、調理用に向く。

 

⑤レッドムーン…パンアメリカンシード社からサカタのタネが輸入した種子を選抜して育成、1991年に登録された。沖縄では紅じゃがいもと呼ばれたり、赤くてメークインのように形が長いので「レッドメーク」の名前で売られていることもある。いもはだ円形でやや長く果皮は赤色で果肉は黄色、加熱すると濃くなる。煮くずれしづらいので、肉じゃがやシチューなど煮物料理に向く。

 

新じゃが

 

 長崎県や鹿児島県が主産地で,2月中旬のハウス栽培からトンネル栽培,マルチ栽培と5月ごろまで出回り、北海道産などの旧じゃがいもと対比して新じゃがと呼ぶ。未熟でみずみずしくゆでると薄皮がつるっとむける、品種はニシユタカ,デジマが中心である。新じゃがは日持ちが悪いのが欠点である。なお、北海道では6~7月のワセシロから始まる新物を「新じゃが」と呼んでいる。

 

 

ハッシュ ド ポテト

 

 米国の代表的な朝食のひとつでハッシュドブラウンとも言い、カリッと香ばしくこんがりきつね色になるように焼くのがコツ。材料はじゃがいも4個(460g) ,塩小さじ1/4,こしょう少々,バター大さじ2,サラダ油大さじ2。

 

①じゃが芋は皮をむいて細い千切りにし、塩,こしょうをしておく。②フライパンにサラダ油とバター各大さじ1を溶かし、じゃがいもを入れて、フライ返しで少し押さえながら丸くまとめる。③ふたをして弱火で約10分,焼き色がついたら皿などに1度とり、フライパンに残りの油とバターをたして裏返して5分ほど焼く。④焼きあがりに好みでケチャップや、マヨネーズ,チーズ等をかけて食べる。私も作ります。

 

*でん粉が加熱されて接着剤の働きをするので、決して水にさらさないこと。

*千切りにしたじゃがいもは色が変わりやすいので、切ったらすぐに焼くこと。

*レシピの中にたまねぎのみじん切りを入れる方法、また全量のサラダ油とバターでジャガイモを手早く炒め、全体に油が回ったら弱火にする方法もある。

*ハッシュは細切り、ブラウンは焼き色が茶色なことから付いた。

 

いももちの作り方

 

 じゃがいも500gは塩を少し入れてかぶるくらいの水でゆで、やわらかくなったら水分をとばし、火からおろす。熱いうちにつぶして、片栗粉100gを加えてよく混ぜ、直径5cm位の筒状にまとめ、これを厚さ1cmくらいに切ってフライパンに油を熱し、両面を色よく焼く。好みによってバターを少し練り込むと風味がよい、残ったら冷凍保存をして半解凍で焼く。

 

ポテトチップス

 

 1853年8月24日,ニューヨーク州サラトガ・スプリングズのレストランで客がフライドポテトが厚すぎると苦情を言って、何度も作り直しをさせた。うんざりしたシェフのジョージ・クラムは、フォークで刺せないような薄切りにしてカリカリに揚げ、客を困らせてやろうと考えた。しかし、この客は逆に大変に喜んだ。これがポテトチップス誕生のキッカケとなった。

 

 2002年にスウェーデン政府が油で揚げたポテトチップスには発癌性が強く疑われているアクリルアミドが含有されていることを発表した。加えてスナック菓子の中でも高カロリーであり、調味料の塩分も多い。肥満やメタボリック症候群、それに伴う疾患の要因になりうる。また揚げる油の種類によってはトランス脂肪酸などの有害物質を過剰摂取する危険性がある。

 

アクリルアミド

 

 国際機関は、動物実験の結果から、アクリルアミドをおそらく発がん性がある物質と分類している。食品中にアクリルアミドができる主な原因は、原材料に含まれているアミノ酸と糖類が、揚げる,焼く,焙(あぶ)るなどの高温での加熱(120℃以上)により化学反応を起こすためです。アミノ酸や糖類は食品にごく普通に含まれている栄養成分で、穀類,いも類,野菜類などに豊富に含まれている。加熱すると、おいしそうな色がついたり,よい香りがしたり,食品の消化性がよくなり、有害な微生物も殺菌される。ポテトチップス,フライドポテト,ビスケット,クッキー,コーヒー豆,ほうじ茶葉などの食品にも含まれている。家庭でも野菜の素揚げや炒めもの,手作りの焼き菓子、トーストしたパンなどにもアクリルアミドが含まれている。

 

 農林水産省が「アクリルアミドの健康悪影響を避けるために、私たちは家庭では何をすればいいのか」、「一番大切なこと」として勧めているのは、①食事の栄養バランスに気をつけること。②アクリルアミドは高温調理(揚げ物や炒め物,焼き物)によって生ずるので、水を使った調理法(煮る,蒸す,茹でる)を上手に取り入れる。調理時の細かい工夫として、食材をこがしすぎないこと、食材を炒めるときにはよくかき混ぜること、火力を弱めにすること。

 

じゃがいもの毒

 

 ジャガイモの芽,日光に当たって緑色になった所,そして小さく未熟なジャガイモには、毒といわれる苦味やエグミの成分としてアルカロイド(主にソラニン,チャコニン)が蓄積する。これを食べると、ときには軽い下痢,腹痛,めまいを起こすので、芽の部分はきちんと取り除き、緑変した部分の皮は厚めにむくこと。栽培には、このため芽を間引いてイモの数を抑えて成長を促す「芽かき」や、日光に当たらないよう茎の周りに土を盛る「土寄せ」が必要になる。収穫をしても決して光に当てないことが必要で暗所保存をすること。品種によっても発生しやすいものがありダンシャクは注意が必要である。

 ヨーロッパで皮付きの料理が多いのはジャガイモを大切に扱う(収穫はくもった日に行ない、収穫後も光に当てないように貯蔵し販売も紙袋で行なう)ためで、皮にアクなどのエグ味がなくおいしい。もともとジャガイモの皮の近くにはビタミン,ミネラル,蛋白質などの栄養がたっぷりと含まれている。日本で皮を厚くむいたりゆでたりするのは日本のジャガイモが光に当てられているからである。

 

空洞果とじゃがいも

 

 天候条件などによる生理障害で、夏の高温乾燥の後の雨などで急速に肥大が進んだ時に発生する。また、窒素肥料の効きすぎや欠株などで、イモが大きくなりすぎたときにもよく発生する。馬鈴薯(ばれいしょ)の内部は基本的に無菌状態ですが、上記による急激な成長により、馬鈴薯の果肉部が裂けてしまうので空洞ができる。ですから、成長による空洞は丁度クロス・十字形に裂けています。この空洞の場合には、長期間の保管により果肉部分より染み出る体液に含まれるポリフェノール分、でん粉が酸化して褐変になります。空洞ができたばかりの時は、空洞は黒くないのはこのためです。穴の部分を除けば通常のじゃが芋と変わらず食べられる。このため、大きいサイズの芋に発生しやすい。また品種でも差があり、男爵薯,トヨシロ,エニワではよく見られるが、キタアカリ,ワセシロ,ホッカイコガネなどでは発生が少ない。

 

 《 北海道・ようてい農協じゃがいも選果場 》


    ①原料投入、一次選別     ②カラーカメラで撮影、大きさ,形,色,キズを解析   ③近赤外線を照射して、空洞果を選別

  ④選別され、サイズ別に箱に入る   ⑤5トンコンテナに積まれて全国各地に出荷される    ⑥羊蹄山を囲む自然の中で栽培される


 

ジャガイモシストセンチュウ

 

 じゃがいも栽培の重要害虫として恐れられている有害線虫で、世界中で大きな被害を出している。わが国では1972年に北海道真狩村にて確認され、その後各地に広まっている。線虫はナス科植物の根に寄生し、シスト(卵を200~500個程度はいった袋)の状態で10数年間も生存する。シストはナス科植物の根から分泌されるふ化促進物質(ソラノエクレピンA)によってふ化し、体長約0.5mmのウナギ型の幼虫となって根に侵入する。重症の株は枯死し、収穫はゼロとなる。これへの対策としてキタアカリ,とうや,さやかなどの抵抗性品種が育成され効果を上げている。加えて、2011年にふ化促進物質を人工合成することに北海道大チームが世界で初めて成功した。ジャガイモを植え付ける前に人為的にふ化させて、餓死させる駆除法の開発が期待される。

 

ジャガイモシロシストセンチュウ

 

 農林水産省が2015年8月19日に北海道網走市の複数の畑で国内初となる病害虫が確認されたと発表。害虫は付着したジャガイモを食べても人の健康に影響はないが、根に寄生し養分を吸い取るため、広がれば収穫量が半減する恐れがある。線虫はナス科植物の根に寄生し、シスト(卵を200~500個程度はいった袋)の状態で10数年間も生存する。シストはナス科植物の根から分泌されるふ化促進物質によってふ化し、体長約0.5mmのウナギ型の幼虫となって根に侵入する。根絶が極めて困難なことから、①病害虫が付いた土を移動させないこと,②作付け前の土壌診断,③連作をしない,④転作などにより発生密度を低減する,⑤土壌消毒の実施で蔓延(まんえん)の防止をする。

 

美瑛とパッチワーク

 

 「丘のまち美瑛(びえい)」は東の大雪山系から十勝岳に連なる大雪山国立公園と、西側の夕張山系に挟まれた波状丘陵として知られ、名はアイヌ語の「ピイェ」(油ぎった川,濁った川、十勝岳の硫黄が流入した美瑛川がそのように見えた)と言われる。開拓者がこれをなまって「ビエイ」と呼んでいたものに「美しく、明朗で王者の如し」という意味の「美瑛」の漢字があてられた。

 

 色のグラデーションが絶妙なあのパッチワークは、ジャガイモ,ビート,小麦,豆類を中心に、ダイナミックな輪作(りんさく)栽培をしている作物でできる模様で、その輪作サイクルは、早生系ジャガイモ→秋播き小麦→翌春にビート→豆類であったり、景観作物と緑肥を兼ねてヒマワリ,キガラシ(ナノハナの仲間),ヘアリーベッチなどを間に入れたりと各農家によって多彩であり、それがまた、毎年異なった丘陵地帯での田園風景を作り出している。この輪作サイクルは、地域によって異なり、十勝地方ではじゃが芋→小麦→てん菜→豆類→であり、網走地方ではじゃが芋→小麦→てん菜→となる。

 

*輪作…同じ畑に作物を連作すると地力の低下やその植物に寄生する病原菌が土壌中に増えて病気にかかりやすくなる。毎年違う種類の食物を植える輪作はこれらの防止と、労働配分の均衡化,土地利用率の向上,危険の分散といった効果がある。

 

野良イモと十勝地方

 

 野良(のら)イモとは、収穫時に畑に放置されたくずイモ(小粒のジャガイモ)が越冬して翌年に芽吹き、生長する現象。連作障害を防ぐため、次の年は違う作物を植え付ける「輪作」体系を壊し、土の養分を奪って、病害虫発生の温床になる。被害は1990年代後半ごろから北海道・十勝地方で現れ、今では網走地方にも起きている。原因は初冬に雪が早く積もることによって雪が寒気を遮(さえぎ)り、地温が氷点下まで下がらなくなり、イモは凍死せず越冬が可能になる。これへの対策として厳寒期に雪割り(除雪)をして土壌凍結を促進し、野良イモを凍死処理する。しかし、凍結が行き過ぎても、春に溶けだした水が溢(あふ)れ、肥沃な表面土壌が流出してしまったり、有用な微生物も死滅してしまったりと、春先の農作業に支障がでる。いま、凍結の深さを約30cmにするというのが気温と積雪データーから出された結果で、これに沿って野良イモの発生を防ぐための雪割り作業が普及している。

 

フランシスコ・ピサロ FraciscoPizarro

 

 スペインの探検家で、インカ帝国の征服者。1524,26年の2回ペルー沿岸を探検したあと、本国政府の援助をえてインカ帝国の征服にのりだし、1531年に約180人の手勢と37頭の馬を引き連れてパナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。1532年インカ皇帝アタワルパを捕えた。翌33年皇帝は「閉じ込められていた大きな部屋を自分の背の高さまで黄金で埋めつくす」から自分を釈放するように要求、ピサロは黄金を受けとりながら、アタワルパが存在する限り先住民が彼をリーダーに担いで反乱を起こす可能性があると判断して、彼を殺し、首都クスコを占領してスペインの統治下におき、搾取と略奪と破壊行為をほしいままにしてインカ帝国をほろぼした。そのかれらが故国にもち帰ったのが、じゃがいもである。

 

 16世紀当時、南北アメリカ大陸(ペルー、ボリビア、エクアドルを中心としたインカ帝国とメキシコを中心としたアステカ帝国)には2000万人の先住民がいたが、その後200年間で、人口が100万人に激減した。これはヨーロッパやその他の地域で、パンデミック(世界的流行)を起こした天然痘や麻疹(はしか)、チフスなど多くの病気を現地に持ち込んだといわれている。先住民達には免疫がなかったのである。征服前の人口が推定2500万人だったのに対し、16世紀末の人口はおよそ100万人にまで減少し、中央アメリカの先住民社会は壊滅的な打撃を受けた。このパンデミックは、古くは天然痘,ペスト、18世紀以降もスペインかぜ,エイズ,SARS、そして2019年12月以降の新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患(COVID-19)が中国の湖北省東部の武漢市から流行し、全世界で感染者と死者が出ている。

2020年3月1日時点で全世界で 8.8万人以上の感染者と0.3万人以上の死者が出ている。

2020年4月1日時点で全世界で88万人以上の感染者と4.9万人以上の死者

2021年5月13日時点で全世界で1億6.000万人以上の感染者と332.5万人以上の死者。

2022年5月11日時点で全世界で5億1.873万人以上の感染者と625万人以上の死者。

2023年3月10日時点で全世界で6億7.657万人以上の感染者と688万人以上の死者が出ている。そしてオミクロンを筆頭に数多くの変異株が出現している。

 

じゃがいもの普及

 

 ヨーロッパに着いたじゃがいもは、最初は食べられなかったが、一旦栽培が始まると急速に普及した。これはヨーロッパの土地は肥沃ではなく、重要な穀類である麦が充分にとれず、まして、農地の半分は家畜だけが食べられる草が生えている牧草地で、冬になるとエサがなくなった。そうした状態を救ったのがじゃがいもで、飼料用から食用ヘと変化していく。

 

①ドイツでは1618年からの“30年戦争”で、すっかり田畑が荒らされた。この飢えを救ったのがじゃがいもであったが、積極的に栽培されるまでにはいたっていない。フリードリヒ大王(1712~86)は、飢饉(ききん)の際の救荒作物として直属の農場でじゃがいも作りを一般に公開して普及を図り、さらに、強制的に栽培をさせた。

 

②フランスの国王ルイ16世(1754~93)は、農学者のアントワーヌ・オギュスタン・パルマンティエ(ドイツとの戦争で捕虜となった時に毎日ジャガイモを食べていた)の薦めで、普及を図った。宮廷での晩さん会に、王妃のマリーアントワネットにじゃがいもの白い花の髪飾りをつけさせ、庶民の関心を深めようとしたり、また、イモ畑に兵士をつけて監視させ夜になるとわざと兵士を眠らせ、住民がイモを盗むにまかせた。

 

③アイルランドでは19世紀はじめ、恒常的な食料不足に悩んでいたが荒れた土地でも栽培できるジャガイモの栽培が急速に普及し、救荒作物として定着していた。それだけにじゃがいもが疫病に犯されたときは深刻で、食料不足から1847年以後の6年間に80万人が死に、150万人がアメリカヘ新天地を求めて逃れた。(その移民の中に後にアメリカ合衆国大統領・ジョン・F・ケネディの曽祖父がいた)

 

小氷期と江戸時代

 

 じゃがいもがヨーロッパ各地に広がっていく17~18世紀は、戦争の時代でもあり、合わせて小氷期(期間中の気温低下が1℃未満に留まる、北半球における弱冷期)と呼ばれる寒冷化が続き飢饉が頻発した。小氷期の原因は太陽活動の低下と火山活動の活発化(噴火により火山灰が地球全体に広がり、噴火後2年にわたって全世界の気温を引き下げる)である。日本においても東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、長期にわたる冷害・旱魃・水害などの異常気象や害虫の異常発生、病害、火山噴火などでの凶作の連続が続いた。これを原因とする農村での一揆の頻発は幕藩体制を揺るがした。1850年代が始まると世界の気候は温暖化に転じており、小氷期はこの時点で終了した。因みに明治元年は1868年。

*江戸三大飢饉とは、享保の飢饉(1732年)・天明(1782-1787年)・天保(1833-1839年)を指し、最も被害が甚大であった。他にも寛永・元禄・宝暦・延宝・天和にも発生をしている。

*旱魃(かんばつ)…干魃(かんばつ)とも書き、ひでり(水不足)が長く続くこと。

*記録によれば、享保の飢饉の時にサツマイモの栽培が奨励された。ジャガイモは明和年間(1764‐72)に甲斐の代官中井清太夫が・1748年飛騨の代官幸田善太夫が栽培を奨励したと言われ、清太夫,善太夫イモの名前が残っている。ただ、我が国でヨーロッパのような広がりを見せるのは、明治時代以降である。