92.タケノコ    筍    Bamboo

 

 中国が原産でイネ科。平安時代初期の「竹取物語」に、かぐや姫の話があり、竹の中に女の赤ちゃんを見つけた…とあり、これはハチクかマダケであろう。今、食用としている孟宗竹(もうそうちく)は、わが国へは、1532年に琉球を経て薩摩に伝わり、江戸時代に各地に広がり食用とされた。アメリカのトーマスエジソンが1880年、京都のマダケを炭化して電球のフィラメントに利用し、光をともした話はあまりにも有名である。

 

 標準種は孟宗竹で、岩手以南に分布し九州から産地が北上する。深さ10㎝内外の地下茎から発生するのは缶詰め用、25㎝前後から発生するのが市場向けとなる。九州の収穫量は全国の61.8%(農林水産省特用林産資料2019年)を占め、生産されるたけのこの大部分は缶詰めに加工して流通する。最近は朝堀りをすぐボイルして殺菌処理しないものをフレッシュボイルタケノコと呼んで旬の生の味が手軽に食べられる。また、中国からの水煮の輸入も多い。

 

 たけのこは鮮度がすべてを決めるとまでいわれ、柔らかくシャキッとした歯ざわり,特有のエグ味,新鮮な香りは、シュンのものならではの持ち味である。自然物は色が濃くて肉が薄く固いが、栽培物は地中で生育させるので、日光や空気にさらされず肉が厚くやわらか。堀り立てならアク抜きをしなくても食べられるが、時間を経るにしたがってアクが強くなり、エグ味がでて繊維が固くなる。たけのこは繊維を多く含み腸の運動を活発にして便秘を解消する。一年中出回っている野菜が多い中で、たけのこほど、昔ながらの本当のシュン(4月)を守っている物も少ない。

 

 食べるときには、根元は固いので炒め物か,すりおろして粉をつなぎにして揚げ、汁の実,煮物に、中間部は乱切り,輪切りなどにして煮物,和え物に、先の方は形を生かしてサラダ,吸い物などに使う。また、姫皮も汁の実や和え物に使う。2022年の収穫量は21,798t、構成比は、①福岡27.0%,②鹿児島24.1%,③京都14.0%、そして,熊本,石川,愛媛,静岡,高知,三重,千葉,大分…と続く。

 

選び方と保存  外見はずんぐり型のきつね色でつやがあり、根元の皮が淡黄色,切り口が淡黄白色で茶褐色のものは避ける。保存はゆでて水に浸して冷蔵庫へ。

旬  4月。


 

たけのこのゆで方

 

 たけのこをゆでるには米ぬかやとぎ汁などに赤とうがらしを2~3本入れて、頭の部分を斜めに切り落とし中央に包丁を入れて皮ごと水からゆでる。これはたけのこのエグ味のホモゲンチジン酸と蓚酸(しゅうさん)のうち、蓚酸が米ぬかやとぎ汁のカルシウムと結びついて、蓚酸カルシウムとなってエグ味を減らすと同時に、ぬかや米のでん粉がのり状になって表面を包み酸化を防ぐので、白くゆで上がる。また、皮に含まれている亜硫酸塩が漂白作用をして、たけのこの繊維をやわらかくするといわれる。1~2時間ゆでて、竹串をさし柔らかくなったら火を止め、冷めたら一晩おくとよい。ゆでたたけのこの中には、白い粉の固まりのようなものがあるが、これはチロシン(蛋白質を構成する代表的なアミノ酸)で熱湯に溶けて冷水に溶けにくい性質のため固まったものである。保存するときは水をはったボールの中に入れて冷蔵庫へ入れる。毎日水を換えれば一週間ほどは保存可能で、使う前に一度煮立たせると中の水分が抜けて味がしみこみやすい。

 

孟宗竹 もうそうちく

 

 本名は江南竹といい、中国江南地方の原産である。名前の由来は、昔、孟宗という親孝行な息子がおり、年老いた病床の母のために寒中にたけのこを掘って母を喜ばせた、という話にちなんでいる。

 

竹取物語

 

 日本最古の物語文学で、平安時代前期(9世紀後半~10世紀前半)に書かれた。原本は現存せず安土桃山時代(16世紀頃)の写本がもっとも古い。作者は不詳だが、物語内容に当時権力を握っていた藤原氏に対する批判が込められていることから、反藤原派で平安京近隣に住む上流階級,仮名文字,和歌にたしなみ貴重な紙の入手が可能な人物と推定される。

物語は……光り輝く竹の中から現れて竹取の翁(おきな)の夫婦に育てられ、かぐや姫と名付けられた。やがて美しく育ち多くの若者から結婚を申し込まれるが、ことわるために難題を与えて、最後に帝(みかど)から結婚を申し込まれるが「不老不死」の薬を残して、生まれ故郷である月に帰っていく。しかし、帝は永遠の命など意味がないと言って、天に一番近い所で燃やす様に命じる。その命令を受けて、士(つわもの)らを大勢連れて山へ登った事から、その山を士(つわもの)に富む山=富士の山と名付けた。その煙は今も雲の中に立ち昇っている。 (当時は富士山が噴気活動中であった)文献に出てくる富士山という表記で一番古いのは、「続日本紀」797年である。

 

タケとササ

 

 一般に、たけの節ごとについて若い幹を保護している皮が、大きくなると落ちるものをタケ、いつまでもついているものをササという。食用とされる代表的なものは次の3種。

①タケ属のうち、孟宗竹。

②タケ属のうちで、ホテイチク…別名コサンチクとも呼ばれ、本州中南部,四国,九州,琉球に分布する。

③ササ属のうちで、チシマザサ…根元がかなり強くわん曲するので、ネマガリタケとも呼ばれる。千島,北海道,北朝鮮と本州の多雪地帯に分布する。

 

ササの開花とねずみ

 

 ササは一定周期で花をつけ、実を結んで枯れる。クマザサで120年,スズタケで60年くらいと言われる。もっとも古い記録は「日本紀略」(12世紀末)に呉竹が実り麦のようであった、と有る。ササの花が咲くときは全山が一斉に開花するときと部分的に開花する場合があり、一斉開花の典型的な例は、民謡に歌われた「会津磐梯山」である。歌詞の「ササに黄金がエー、またなりさがる」とあるのは徳川時代初期(1605年)の開花、そして、寛文6年(1666年)の開花を指したものであろう。写真は苫小牧・チシマザサ

 ササの実は一斉開花のときで、10a当たり200~300㎏にもなり昭和31年(1956年)に木曽御嶽(おんたけ)を中心に結実したときは、長野,岐阜,愛知にまたがる約5万haの広大な地域となった。落下したササの実が地表を厚く埋め、このすべてがねずみの格好のエサとなり野ネズミの大発生を引き起こす。栄養は小麦と大差がなく、飢饉(ききん)のときには人間も救荒食糧として利用してきた。