184. レタス  Lettuce チシャ

 

   地中海沿岸から中近東が原産でキク科。英名のレタス、フランス語のラティはギリシャ語のラク Lac,すなわち乳に由来し、また、和名の萵苣,ちしゃは乳(ちち)草(くさ)の略といわれている。これはレタスの葉を切ると白い乳汁を出すためである。

 

   栽培は、紀元前5世紀のエジプトの墓に記録があるが、玉レタスに改良されたのは16世紀である。わが国ヘは、カキチシャとして8世紀の東大寺,正倉院の文書に名前がみられる。ただし、玉レタスが入ってきたのは幕末の1862年で、さらに第2次世界大戦後の駐留軍の特需から急速に栽培され、食生活の洋風化とサラダ料理の普及によって需要が拡大している。生食野菜の代表格で、新鮮さと清潔さが大きく要求される。

 

   栽培には冷涼な気候を好み生育の適温は16~22℃であるが、気温に対して敏感な作物で作型ごとに品種が細分化するとともに気温の変化で作柄が不安定になりやすい。品種は昭和24年に輸入されたグレイトレイクスが長く続き、この中から多くの優良品種(グレイトレイクス・366,同・54)が選抜されている。さらに近年は、高温期でも抽苔(ちゅうたい)が少ないマックタイプが夏場に増え、ほかにカルマー群(ステディ…),エンパイヤ群(シャトー…),サリナス・バンガード群(シスコ,サマーランド,シナノグリーン,シナノサマー…)などがあり、さらにこれらの品種間の交雑が行なわれて耐病性,結球性の安定を図った新しい品種(サウザー…)も育成されている。

 

   栄養的にはビタミンAとCを多く含み、蛋白質も含有量は少ないが良質で、そのほか鉄分やミネラルも含み、美容と健康に無くてはならない野菜である。レタスの細胞膜にはペクチンが含まれており、これは低温でかたくなる性質があることからふきんに包んで冷蔵庫で冷やすとパリッとしたレタスが食べられる。切るときに鉄の包丁を使うと褐色に変色するので、ステンレスの包丁か手でちぎるとよい。

種類は次の通り。

   2022年の栽培面積は19,900ha,収穫量は552,800t、収穫量構成比は、①長野33.0%,②茨城15.7%,③群馬10.3%,④長崎6.7%,⑤静岡4.6%,⑥兵庫4.4%、そして,熊本,福岡,香川,北海道,千葉,岩手…と続く。

非結球レタス(サニーレタス,グリーンレタス、プリーツレタスなど)の2020年の収穫量は70,600t、構成比は、①長野42.6%,②福岡13.8%,③茨城8.6%、そして香川,千葉,静岡,群馬,岩手,福井,北海道,愛知,兵庫…と続く。

選び方と保存   葉は淡緑で丸く適度に締まっているもの、重たいのは収穫期が遅れた可能性がある。保存はラップに包むかポリ袋に入れて冷蔵庫へ。

旬   7~10月。

 

マックタイプ

 

 各産地で、トンネル,マルチ,移植,直蒔(じかま)きなどと作型分化が進むなかで、夏場の高温期に抽苔(ちゅうたい)や変形球の発生という問題がでてきた。こうしたときに、米国のペンシルベニア,ニューヨークなど東部のレタス栽培に用いられてきたのが、マックタイプと呼ばれる品種群・オリンピア,イサカ,サクセス,カイザー,マックマリア,ミニレイクなどである。早生晩抽型で上記の欠点をカバーし、結球を始めると収穫までの期間が短く、玉締まりや揃いがよく葉色が淡い,葉の枚数が多く葉数型の生育をする,葉の欠刻が多く鋭い、といった特長がある。

 

高原野菜

 

 標高と気温との関係は、標高が100m上がるごとに0.6度低くなるといわれる。長野県の軽井沢を中心にした野辺山(のべやま),群馬県嬬恋(つまこい)村,菅平(すがだいら)などは標高900~1000mで、ここでは東京近郊の8月の平均気温27.4℃(1981~2010年の平均)より約7度低い、20.5℃内外の平均気温が続く。そのため、涼しい気候を好むレタス,セロリ,キャベツ,白菜などの生育に適している。たとえば、レタスでは標高によって作付け時期が決められ、700m以下は4~5月上旬播種の7月どり、800~1000mは5月中~6月上旬播種の8月どり、1000m以上では6月中旬播種の9月どり、10月どりは800~1000mの地帯で7月に播種する。

 

予措(よそ)乾燥

 

 野菜は収穫当時は水分が多くて損傷しやすい。また、病菌の侵入を受けやすく生理的にも呼吸,蒸散がきわめて盛んなので、これをすぐ包装や貯蔵をすると変質,腐敗を招くことがある。そこで軽く乾燥して生理作用を押さえ、腐敗を防いで品質の保持をすることを予措乾燥という。白菜やレタス、また、柑橘類でもこれを行なうのが普通である。

 

ハネムーンサラダ

 

 手でちぎったレタスに塩をかけただけのサラダを欧米では「ハネムーンサラダ(Honeymoon Salad)」という。英語で書くとLettuce alone(レタス・アローン・レタスだけ)の発音が Let us alone(レット・アス・アローン・私たちだけにして)と聞こえることに由来している。全く同じ意味で「Lettuce only」=Let us only。

 

サラダ記念日

 

 「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」、これは1987(昭和62)年に俵(たわら)万(ま)智(ち)が発表した歌集『サラダ記念日』の一首で、新しい感覚の作品が話題を呼び260万部を越えるベストセラーになり短歌ブームがおきた。また、「記念日」という言葉を一般に定着させるとともに、本当に記念日となった。サラダ・Saladの語源は、野菜に塩をかけて食べたことから、塩・Saltが元になっている。

 

エデンの東 East of Eden

 

 アメリカの作家ジョン・スタインベックの1950年の作品で、聖書の物語と南北戦争(1861~1865年)から第一次大戦(1914~1918年)までの時代を背景に、一家族の歴史を描いたもの。1955年映画化。主演のジェームス・ディーンの演技が話題を呼び、大ヒットを記録した。この中でカリフォルニア郊外のサリナスからレタスを氷で冷却保存して列車で輸送する事業に主人公の父が挑戦するが、途中の雪崩(なだれ)で列車が止まり結局は失敗してしまう。この映画に見られるように、アメリカでは収穫したてのレタスを出荷前に砕氷を使って温度を下げて輸送や保存に耐えるようにする技術が20世紀はじめには実用化されていた。ただ、本格的な「コールド・チェーン」(生鮮食品の産地から消費地までの輸送を低温管理する)は、1940年代後半と言われている。

 

コールドチェーン Cold chain

 

 低温流通体系=冷凍・冷蔵によって低温を保ちながら、生鮮食料品を生産・輸送・消費の間で途切れることなく流通させるしくみ。これにより、鮮度の維持,価格の安定,衛生状態の確保に大きく貢献している。国土の広いアメリカなどで発達した流通方式で、第二次世界大戦後急速に発展した。わが国では、昭和40年(1965)に国が「コールドチェーン勧告」と呼ばれる「食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に関する勧告」を発表。この後、当時の農林省が中心になって、全国各地に野菜,果実,畜産物,魚介類等の生産流通施設の整備を進め、予冷や低温輸送,貯蔵といった低温流通が始まった。野菜では昭和41年(1966)に長野県の洗(せ)馬(ば)に真空予冷装置が導入され流通実験を開始、昭和47年より本格的に導入され長野のレタスなどの流通網は一挙に広がった。アイスクリーム,コーラ,ビール,冷凍食品もこのコールドチェーンの整備とスーパーマーケットの多店舗展開に助けられて急速に浸透していった。

 

家庭用冷蔵庫

 

 アメリカで広く使われた初の冷蔵庫は1927年にGE社が発売したもので、100万台以上を生産した。わが国でも昭和5年(1930)に芝浦製作所(東芝)が発売したが、高価なため売れず、普及したのは白黒テレビや洗濯機と共に三種の神器(じんぎ)と呼ばれ、高度成長時代に入った昭和30年代である。昭和36年に冷凍食品が保存できるフリーザー付きの冷蔵庫が発売され、40年には普及率が50%を超え、44年には冷凍室を独立させた2ドアタイプが登場する。これで、生産現場から流通、小売店や家庭,レストランの厨房にまで冷蔵,冷凍で食品を流通させる為の低温流通体系=コールドチェーンが出来たことになる。

 

冷凍食品

 

 昭和39年の東京オリンピック・選手村での採用を機に、冷凍食品(-18℃以下)に適した解凍,調理法が研究され、セントラルキッチン方式のファミリーレストランチェーンの拡大により、外食産業分野で利用が始まった。家庭でも簡単に食べられることから受け入れられ、その後の電子レンジの普及(初の家庭用電子レンジ発売は昭和40年の松下電器産業・現パナソニック)も拍車をかけた。

 

 冷凍前に調理済みないしは下ごしらえ済みであるために、食べる前に油で揚げたり電子レンジや湯煎で加熱するだけで、必要なときに必要な分だけ使うことができ調理の省力化=女性の家事時間の減少に役立つ。加えて、価格が安定して収穫期の旬の味を年中楽しめる。冷凍食品の1人あたり消費量の推移を見ると、1970年(昭和45) 1.4㎏,1980年 6.0㎏,1990年 10.8㎏,2000年 18.7㎏,2010年 19.2㎏,そして2022年 23.9㎏(日本冷凍食品協会調べ)となっているが、まだまだ欧米の1/3程度である。主な商品は2022年で①うどん12.5%,②コロッケ10.0%,③ギョウザ6.4%,④チャーハン6.2%,⑤パスタ4.1%,⑥ラーメン類4.1%,⑦ハンバ-グ4.1%、そしてカツ,ピラフ類,たこ焼き・おこのみ焼き,シュウマイ,グラタン・ドリア,洋菓子,卵製品,おにぎり,ミートボール,ポテト…と続く。(一般社団法人 日本冷凍食品協会HPより)

 

三種の神器

 

 古代より日本の天皇が、皇位継承のしるしとして受け継がれてきた鏡,剣,玉の3種の宝物を三種の神器(じんぎ)という。これになぞらえて、昭和30年代の輸出拡大で日本経済が急成長した時期に「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が「三種の神器」と呼ばれた。努力すれば手が届く夢の商品であり、家事労働の軽減から余暇の充実へとライフスタイルの変化も後押しをして、大衆消費社会に突入した。第2次高度成長期となった昭和40年代には、「カラーテレビ・クーラー・カー」が3Cと呼ばれこれに代わった。2000年代に入っては、デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビのデジタル家電が「新・三種の神器」と呼ばれている。